PressClub Japan · 記事.
BMW Motorrad World News 2006 Vol. 5
Mon Mar 13 10:00:00 CET 2006 プレスリリース
BMW Motorrad主催のサーキット・トレーニングで、うまく軌道に乗ろう/視野が広がる冒険に出よう/R90Sの歴史的瞬間
プレス担当者.
Yosuke Shiroshita
BMW グループ
電話番号: +81-3-6259-8017
Fax: +81-3-6259-8009
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著者.
Yosuke Shiroshita
BMW グループ
*以下のニュースはBMW AG発行のニュースレターの翻訳であり、日本市場への導入とは関係の無い場合があります。
【BMW Motorrad主催のサーキット・トレーニングで、うまく軌道に乗ろう】
サーキットで走るのは、最高の気分を味わえると同時に、ロードライダーとしてのスキルも向上する。そこでBMWでは、ライディング能力を向上させるだけでなく、忘れられな
い経験ができるサーキット・トレーニングを開催している。
BMWのサーキット・エクスペリエンスは、ヨーロッパでも屈指のサーキットで開催される。それはザルツブルグ・リンク、ホッケンハイム・リンク、過酷で有名なニュルブル
グ・リンクだ。各サーキットは表情が異なり、初級者から上級者まで全てのライダーに素晴らしいチャレンジの機会を与えてくれる。
伝説、という言葉はもはや使い古しの感はあるが、ニュルブルグ・リンク北コース(Nordschleife)はこれ以外の言葉では語れないのも事実だ。全長13マイルの
サーキットにはコーナーが73箇所もあり、世界で最も挑戦的なコースとしてその名をとどろかせている。
コースが完成した1927年から、F1界のヒーロー、ジャッキー・スチュアートが"グリーン・ヘル(緑の悪魔)" と表現したこのコースを征服しようと、世界中から挑戦者
がやって来る。2泊の滞在の中でトレーニング受講者は、このサーキットの歴史に浸り、BMWの経験豊かなインストラクターのトレーニングを受けることができる。
BMWのサーキット・トレーニングでは、ブレーキング、ライン取り、コーナーの正しい曲がり方のような基礎技術だけではなく、実際の各セクションをマスターする手助けをし
てくれる。この知識こそが、実際にNordschleifeのKarusellやHohe Achtといったコーナーに挑戦する際に非常に役に立つのだ。
オーストリアのザルツブルグ・リンクは、ザルツブルグの町にほど近い、美しい谷にひっそりと佇んでいる。一周4.2kmのサーキットは、高速セクションとアルプス風のタイ
トターンの組み合わせだ。一方、ドイツ中部に位置するホッケンハイム・リンクは一周4.5kmで、毎年ドイツF1世界選手権のホストを務める人気の高い現代的なサーキット
だ。
ライディングの授業は、1日目にクラスルームでバイクの物理学の講義を受け、2日目にトラックで理論を実践する。
非常に経験豊かなBMWのインストラクター達は、正しいブレーキング、コーナリングのテクニックだけでなく、トラックをより速く、意のままに走るためのヒントをたっぷり教
えてくれる。
もちろん、このようなサーキット・エクスペリエンスは、サーキット以外の道路でも決して無駄にはならない。全ての授業は、高速道路での走行にも当てはまり、さらに自分の限
界やバイクの能力をより深く理解することで、上級ライダーに一歩近づけるだろう。
ホッケンハイム・リンクの開催日は4月19日で費用は450ユーロ。一方ザルツブルグ・リンクの開催日は5月29日で費用は380ユーロ。両コース共、ホテル1泊分、食
事、飲物代が費用に含まれている。ニュルブルグ・リンクでのプログラムは5月、6月、7月を通じて開催され、費用は995ユーロ。費用にはホテル2泊分、食事と飲物代が含
まれている。
BMWのポータルサイトからオンライン予約ができる。
http://www.bmw.de/uk/services/Fahrertraining/Trainingswelt/Motorrad/cont_motorra
d_rundstrecken-training.html
【視野が広がる冒険に出よう】
仕事で世界の果てや、外国を探検しに行くことができる人は、実際何人いるだろう?これこそ、ヘルベルト・シュワルツの仕事上の特権だ。この大らかなドイツ人は、オフロード
や冒険旅行の装備を専門に扱うバイクのアクセサリー会社、TOURTECH社の常務なのだ。
ヘルベルト・シュワルツにとって、自社製品を開発し、想定される条件下でテストを行うために"現地に"赴いている時ほど幸せな時はない。彼は、多くの自称世界旅行家が夢に
描くだけの場所を実際に訪れ、現地で撮った素晴らしい映像を使い、TOURTECH社の年間カタログとDVDを製作している。
ヘルベルトの直近の旅行は、BMW R1200GS Adventureと、TOURTECH社製改造版R1200GS、通称Desiertoによるメキシコ横断だ。今回
の旅はドイツのテレビ番組Motobikeで取り上げられる予定で、パートナーとして、旅行経験豊富なテレビ司会者でありTOURTECH社製バイクにも乗っているアスト
リッド・ノイデッカーが同行した。加えて、旅の全行程を記録する撮影班も一緒だった。
全ての計画が整い、チームも編成され、あとはバイクをメキシコ・シティに輸送するだけだった。しかし、ハリケーン・ウィルマが、何ヵ月にも及ぶ綿密な計画もろとも破壊して
しまったのだ。
「当初の予定ではメキシコ・シティに飛んで、バイクでユカタン、グアテマラ、ベリーズを経由してキューバに渡ることになっていたんだ」と、ヘルベルトは語る。「ところが、
ハリケーンの影響でカンクーンの港が破壊されて、船でキューバに渡れなくなった。そこでバイクを空輸できないかと考えたけど、税関を通るのに1週間もかかると言われた。当
初の計画を変更せざるを得なかった僕らは、一路クーパー渓谷を目指し、ロス・ムーチャス、バハを経由してカリフォルニアまで北上することにしたんだ」
しかし、このルート変更のおかげで旅が台無しになるどころか、これまでで最高の旅になったとヘルベルトは語る。「素晴らしい旅だった。過去の旅では技術的なトラブルがあっ
たけど、この旅では何の問題も無く、むしろ張り合いがなかったよ!バイクも、7,000kmのライディングのうち3,000kmにも及ぶオフロードを質の悪い燃料で耐えて
くれた。標高が高かったので、夜は寒く昼は暑かったけど、何の問題もなかった。この種の旅にはパーフェクトなバイクだね。」
旅では、ありとあらゆる道を走破した。クーパー渓谷の曲がりくねった、狭いダートトラックから、アメリカの広々とした高速道路まで走りぬけたが、バイクには何の問題もな
く、旅の始めでも終わりでも同様の走りを見せていた。
チームは荒野でのキャンプや星空の下で野宿をし、冒険の醍醐味を味わった。しかし時には、テントを張った日もあった。
「ガラガラヘビやサソリがいそうな場所では、テントを使ったよ」と、ヘルベルトは説明する。「寝袋の中に入ってきたら本当に嫌だからね!」
野宿では、湖や川で洗濯をするなど、利用できるものは何でも利用しなければならない。時には、太平洋さえ即席の風呂になった。しかし、週に1度は、ホテルに泊まるという贅
沢も許した。
メキシコを訪れるのは今回が初めてだったヘルベルトとアストリッドは、現地の人々の親しみやすさやのんびりとした国民性に驚いた。「メキシコは本当に楽しかった。彼らがあ
そこまで親しみやすくて友好的だとは思ってなかったよ。現地に滞在している間、何のトラブルもなかった。現地の人たちと言えば、大抵は内気で遠巻きにしているものだけれ
ど、メキシコでは僕らが困っているとすぐに、出来る限りのことをしてくれた。みんな僕らに興味津々で、たくさん質問されたよ」
「アフリカでは立ち止まると集団にもみくちゃにされることがあったけど、メキシコではなかった」と、ヘルベルトは語る。「メキシコは、例えて言うならアフリカとアメリカの
中間だね。アメリカみたいに近代的で巨大なビルがあるかと思えば、田舎では昔ながらの生活を送っている人たちがいるんだ」
友好的な歓迎に感謝したのはアストリッドも同じだ。「この旅で一番記憶に残っているのは、誰もが友好的だったってことよ。シャイなんだろうけど、信じられないほど親しみや
すいし、色々と助けてくれたわ」
チームは現地の小さな店で食材を調達し、バイクの燃料を使って自分達で調理をした。万が一のために3日分の保存食も持って行ったので食べる物にはさほど困らなかったが、特
にクーパー渓谷のような人里離れた場所では、燃料の問題があった。ガソリン・スタンドには少しの燃料しか置いてないこともあった。しかし33Lという大きなタンクを備えて
いるAdventureは、600Kmは走れるので問題なかった。Desiertoの方は、Adventureのタンクから燃料をもらうことがしばしばだった。
人里離れているにもかかわらず、いや、人里離れているせいか、ヘルベルトはこの旅のお気に入りの場所としてクーパー渓谷を挙げた。「素晴らしい景色だったよ。その大きさや
強烈な印象はグランド・キャニオンに匹敵する。1,500km以上にわたって蛇のように曲がりくねった山道はチャレンジのしがいがあるよ。砂の中に埋もれないように時速
60km以上を保たなければならなかった場所もあったしね」
アストリッドも渓谷への挑戦とその景色に魅了された。「バイクで走るには最高の場所だったわ。ライディング技術はかなり必要だけど、景色はこの世のものとは思えないくらい
素晴らしかった。今回の旅で私のお気に入りの場所を挙げるとしたら、間違いなくクーパー渓谷だわ」
この旅はただのライディングと言う以上に、魅力的な国を探検する機会でもあった。TOURTECH社製バイクのメキシコの輸入代理店であるカルロス・ウェイデは、彼らにロ
ス・ポザスを訪れるよう勧めた。そこはイギリス人アーティストのエドワード・ジェームスが驚くべき彫刻のコレクションを製作した地で、メキシコのシエラ・ゴルダ山脈奥深く
の熱帯雨林にあった。そこには以前ホテルがあったが、数年前に休業してしまっていた。しかし、ヘルベルトはなんとかそこで一泊できるよう管理人を説得した。「土砂降りの雨
の中、奇妙な彫刻に囲まれて、誰もいないホテルに泊まるのはかなり不思議な感覚だったよ」と、彼は回想する。
「古い銀山を改装したラ・ミーナというディスコにも行ったよ。銀山の入り口から奥には小さな電車が運んでくれて、素晴らしい場所だったよ。16歳から60歳まで、あらゆる
年齢層の人がそこにいて、賑やかで親しみやすい空気だった。現地の人達は僕らが何者で、なぜここにいるのか知りたがり、みんなとても興味津々だった。その地域では観光客な
どほとんどいないし、僕らが標準的なメキシコ人より背が高かったから、ちょっと目立ってたんだ」
ヘルベルトが集めた写真や映像は1000を超え、2006年のTOURTECH社カタログやDVDを作るのに十分な量が集まって非常に満足している。「このDVDの映像は
素晴らしく、画面に釘付けになるよ。そしてまたバイクに乗りたくなる。今回の旅は最高に楽しかったってことが、これで伝わると思う」
秋に発行予定のカタログの製作があるので、ヘルベルトは次の旅までそんなに長く待つ必要がない。冒険の計画は既に進行中で、ベトナムとアラスカが現在の候補に挙がってい
る。彼らが行くところはどこでも、景色は常に最高で、旅の話を聞くと、自分も冒険に出たいという気分になる。
TOURTECH社のPDF版カタログは、www.touratech.comで入手できる。DVD版はウェブサイト、またはTOURTECH社の販売代理店で入手可能。
詳細はウェブサイトで確認できる。PDF版カタログ及びDVDはドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語版が用意されている。
【R90Sの歴史的瞬間】
BMW R90Sが初のスーパーバイクレースで優勝して、スポーツバイクとしての地位を確立し、BMWのレース史における真のアイコンとなってから既に30年が過ぎた。
1975年、アメリカのレース理事会(AMA)は、1976年のシーズンから"スーパーバイク"というカテゴリを新たに設けると発表した。アメリカのBMW輸入業者、バト
ラー&スミス(B&S)は即座にこの新しいチャンピオンシップに参加しようと決め、BMWのバイクの中でも最もスポーティーなR90Sでエントリーした。
R90Sは、BMWの50周年記念として1973年に発売された。900ccのマシンはBMWが製造する中でも最速で最もパワーのあるバイクであり、ノーズ・フェアリング
を備えた初の量産バイクでもあった。実際R90Sまでは、最大750ccのマシンまでしかなかったのだ。
1975年10月、3台のBMW R90Sが、チューニングスペシャリストのウド・ギエトの元に届けられた。彼はそのままシーズン開始時にチームの監督に抜擢された。
67馬力を生み出すエンジンの排気量は1,000ccに拡大され、より大きなキャブレターと高性能カムシャフトを追加し、シリンダーヘッドと排気システムを改造してより多
くのパワーを生み出した。シーズン開始までに、R90Sのレース仕様車は、9,200rpmで驚異的な102馬力を生んだのだ。
バンク角と操縦性を改善するために、エンジンがわずかに前に動かされた。現在のスーパーバイクレーサーと同様、R90Sの外観はノーマルにできるだけ近づけ、シルバーとオ
レンジのツートン塗装が施されたレース用バイクは、市販車と見間違うほどだった。
シーズン初のレース(1976年3月5日、デイトナ50マイルレース)では、湿気が高すぎて点火システムに影響を及ぼし、テスト走行が出来なかったという事実にもかかわら
ず、ライダーのレグ・プリッドモア、ゲーリー・フィッシャー、スティーブ・マックローリンがスタートラインに並んだ。
レースではBMWの3人組が他を圧倒する走りを見せ、わずか3周でBMWの勝利が確実となった。問題はどのBMWが優勝するか、それだけだった。その時、優勝が確実視され
ていたフィッシャーに悪夢が襲った。最後から2周目のラップで、ギアが抜け落ち、エンジンの回転速度が上がりすぎてロッカー・アームが壊れ、チェッカー・フラッグの手前で
プリッドモアにリードを許してしまったのだ。
そしてこれがマックローリンの不屈の精神に火をつけた。最後の瞬間、彼はプリッドモアを抜き去り、スーパーバイクの歴史を塗り替えるチェッカー・フラッグをトップで走りぬ
けたのだ。
プリッドモアは、後に雪辱を果たす機会に恵まれた。彼はリバーサイドとラグナ・セカの2つのチャンピオンシップで優勝し、BMWを勝利に導いた。シーズン終了後、B&Sは
レースから手を引き、この3台のバイクはBMWのディーラーに売却された。80年代前半、マックローリンのバイクがカリフォルニア・ベーカーズフィールドのBMWディー
ラーの裏手で廃棄されていたのを見つけた元B&Sセールスマネージャーのブルース・アームストロングは、ウド・ギエトの手を借りてレストアを試みた。
アームストロングはその後数年にわたり、カリフォルニアの自宅近くの道路でバイクを走らせ、バイクのイベントにも多数参加した。そして2004年、BMWの栄光の歴史を飾
るにふさわしい場所である、BMWモービル・トラディション・ミュージアムにこのバイクを寄贈した。2007年に新装オープン予定のBMWミュージアム(ミュンヘン)に
は、完全に修復されたバイクが展示される予定だ。